ニューヨークに住んでいて感じる「やり過ぎな人達」は、毎回色んなアートフェアーに顔を出し、人が集まる所にいつも出没しているが、どうしても私にとっては魅力的に映らない。それよりも自分のための時間を作って、気に入った本を読んだり、ゆったりとプライベートな時を優雅に過ごすことに軸を置いている。そして、わたしにはそういう友達が多い。
その「やり過ぎな人達」をアートフリークと呼んでいるが、彼らと話をするとご自慢トークが始まり「わたしはなんでも知っているわ」という前かがみな姿勢で、本人は気づいていないのかもしれないが、知識=自信と錯覚している様子はあまりにも痛々しく感じる。悲しいかなその浅はかな会話はわたしを萎えさせるだけだ。どの業界にもいても類は友を呼ぶ。そういう人達は「知識」や「人気」を持つことだけが大切で、自分が培っているものは何もない人が多いと思う。
そんな中、ブルックリンに10年以上住んで、感激したことは自らを飾らずにコツコツ努力しているブルックリナイツが多くいること。あくまで「自然体」。そして人がどう思おうが関係なく、自分がこれと思ったことには時間をかけてでも追求する人達。「好きなことに没頭している姿」は「地味」かもしれない。でも、わたしはその地味さがすごく美しいと思う。
彼らのようなブルックリナイツは、まるでキリギリスが夏に遊び呆けている時に、冬支度をちゃんとしていたアリのようでもあり、種を蒔いてから収穫まで、毎日水をあげていた農夫のよう。同じブルックリナイツとして、わたしは渡米して17年目にしてようやくARISA'S LIFE STYLE をプロダクトにしようと思えるようになった。17年の歳月をかけて蒔いた種から、ようやく芽が出てきたことをシェアー出来ることに、幸せを感じる今日このごろだ。
自分がこれと思ったことには時間をかけてでも追求する